
「日本滅ブベシ」──。
ある宗教団体の教祖が残したとされる血文字。そして、岩手県で発見されたという二つの顔を持つ奇怪なミイラ「リョウメンスクナ」。
2005年、2ちゃんねる「オカルト板」に投稿されたこの物語は、史実や民俗学、実在した災害の記録を巧みに織り交ぜたことで、「本当にあった出来事ではないか」と多くの読者を震え上がらせた。
本記事では、リョウメンスクナ騒動のあらすじや元ネタを時系列で整理するとともに、物部天獄の正体、両面宿儺との関係、呪いの信憑性、そして創作怪談と考えられる根拠まで徹底的に考察する。
リョウメンスクナとは

2005年、2ちゃんねるオカルト板に投稿された怪談。
投稿主が従事する岩手県のある寺の解体作業中に古い木箱が発見される。寺の管理に関わる住職の警告も虚しく、作業現場に従事していた2人の中国人が箱を開けてしまう。この中に入っていた即身仏が「リョウメンスクナ」であり、その外見が神話時代に暴れた怪物「両面宿儺」に似ていることからそう呼ばれた。
このミイラは、あるカルト教団の教祖「物部天獄(ものべてんごく)」が作ったとされる即身仏型の呪物で、見世物小屋にいた2つの頭を持つ、現代でいう結合双生児を蠱毒の呪法を用い日本を滅ぼすための即身仏(ミイラ)として仕立て上げたという。
その呪いは非常に強力で、即身仏が移動した先々で大災害が起こったといわれている。
🔍️ 蠱毒の呪法
毒虫や爬虫類などを壺(器)に閉じ込め争わせ、最後に生き残った個体に強力な毒や呪力が宿るとされる禁断の呪法。
本怪談のリョウメンスクナ(即身仏)は、この呪法を虫ではなく人に用いて作った非常に強力な呪物とされる。
リョウメンスクナのあらすじ
注意:前項で述べた通り、この話のボリュームは大きいです。そのため本記事における物語のあらすじは、オリジナル版の要点を押さえつつ適度なボリュームに調整し紹介しています。フルボリュームで楽しみたい方は、以下のリンクから物語をお楽しみ下さい。
投稿主が従事する岩手県の寺の解体現場で、「両面スクナを封ず」と書かれた古い木箱が発見される。
住職から「絶対に開けるな」と警告されるも、中国人の作業員が箱を開封。
中には頭と腕が二つずつある異形のミイラが納められていた。その後、中国人の一人は突然死し、もう一人は精神を病んで病院へ移送された。その他の作業員たちは高熱などの異変に見舞われた。
投稿主は、後に住職の息子から、そのミイラは神話時代に2つの顔、4本の腕をもつ怪物「両面宿儺」にちなんで「リョウメンスクナ」と呼ばれ、かつて呪術集団によって生み出された極めて危険な呪物であり、日本を滅ぼすための呪いが込められていると聞かされた――。
登場人物
・投稿主:建築関係の仕事に従事。スクナを目撃した後、怪我を負ってしまう。
・中国人作業員A:解体現場で発見された古い木箱を開ける。後に心筋梗塞で死亡。
・中国人作業員B:解体現場で発見された古い木箱を開ける。後に精神病院に移送。
・他の作業員たち:リョウメンスクナを目撃してしまう。その後、高熱を出し寝込む。
・住職:作業員に箱を開けるなと忠告。後に連絡が取れなくなるも、即身仏をどうにかしているもよう。
・住職の息子:投稿主にスクナについて語ってくれる。
▼ リョウメンスクナあらすじ(セミフルVer)
452 :その1:2005/09/21(水) 16:10:58 ID:GJUzoiep0
俺、建築関係の仕事やってんだけれども、先日岩手県のとある古いお寺を解体することになったんだわ。
今は利用者もないお寺ね。
んでお寺ぶっ壊してると、同僚が俺を呼ぶのね。「~、ちょっと来て」と。
俺が行くと、同僚の足元に黒ずんだ長い木箱が置いてたんだわ。
この黒ずんだ長い木箱の大きさは約2m。相当古いものらしく、木箱は腐って傷んでしまっていた。
箱の表にはボロボロになった白い紙に『大正??年??七月??ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ???二封ズ』と書いてあった。
453 :その2:2005/09/21(水) 16:31:26 ID:GJUzoiep0
んで翌日、解体作業現場に着く前に業者から電話かかってきて、
業者「あの木箱ですけどねぇ、元住職が絶対に開けるな!!って凄い剣幕なんですよ・・・
なんでも、『自分が引き取る』って言ってるので、よろしくお願いします」
俺は念のため、現場に着く前に現場監督に木箱の事電話しておこうと思い、
俺「あの~、昨日の木箱の事ですけど」
監督「あぁ、あれ!お宅で雇ってる中国人(留学生)のバイト作業員2人いるでしょ?
そいつが勝手に開けよったんですわ!!とにかく早く来てください」
嫌な予感がし現場へと急いだ。
投稿主は急ぎ現場に向かうと、昨日木箱を保管したプレハブに5~6人の人だかりが。
もちろん、蓋が開いた木箱の周りにだ。
単刀直入に、中にはミイラのようなものが入っていた。
異様だったのは、頭が2つあったこと。
それを見たショックなのか、蓋を開けた中国人2人は放心状態で一言も口を開くことはなかったという。
459 :その3:2005/09/21(水) 17:07:49 ID:GJUzoiep0
あ、言い忘れたけど、
そのミイラは頭が両側に2つくっついてて、腕が左右2本ずつ、足は通常通り2本。という異様な形態だったのね。
俺もネットや2ちゃんとかで色んな奇形の写真見たことあったんで、
そりゃビックリしたけど、あぁ、奇形か作りもんだろうな、と思ったわけね。
んで、例の中国人2人は一応病院に車で送る事になって、警察への連絡はどうしようかって話をしてた時に、
元住職(80歳超えてる)が息子さんが運転する車で来た。
開口一番、
住職「空けたんか!!空けたんかこの馬鹿たれが!!しまい、空けたらしまいじゃ・・・」
俺らはあまりの剣幕にポカーンとしてたんだけど、住職が今度は息子に怒鳴り始めた。
岩手訛りがキツかったんで標準語で書くけど、
住職「お前、リョウメンスクナ様をあの時、京都の~寺(聞き取れなかった)に絶対送る言うたじゃろが!!
送らんかったんかこのボンクラが!!馬鹿たれが!!」
ホント80過ぎの爺さんとは思えないくらいの怒声だった。
住職「空けたんは誰?病院?その人らはもうダメ思うけど、一応アンタらは祓ってあげるから」
俺らも正直怖かったんで、されるがままに何やらお経みたいの聴かされて、
経典みたいなのでかなり強く背中とか肩とか叩かれた。
結構長くて、30分くらいやってたかな。
住職は木箱を車に積み込み、別れ際にこう言った。
「可哀想だけど、あんたら長生きでけんよ」
その後、直接蓋を開けた中国人2人の内1人が心筋梗塞で亡くなり、もう1人は精神病院に移送。
木箱の中身を見た他の解体作業員3名も高熱で寝込み、投稿主も釘を足で踏み抜く事故で怪我を負ったとのこと。
投稿主は、あくまで直感ではあるが、あのミイラのようなものが原因だと思ったらしい。
まるで世を呪うかのような物凄い形相をしていたのだから。
ここまでが今までの出来事、投稿主は書き込みしていく中でこのミイラについて気になり、何とか住職に話を聞こうとするも連絡が取れず、不動産屋を仲介して住職の息子にアポを取ることに成功。明日会いに行き話を聞いたら報告するとスレ民に伝え、この日の書き込みは終わった。
491 :452:2005/09/21(水) 22:27:34 ID:ERc7KoX60
すんません。
直前になって、何か『やはり直接会って話すのは・・・』とか言われたんで、
元住職の息子さんに、『じゃあ電話でなら・・・』『話せるとこまでですけど』と言う条件の元、話が聞けました。
時間にして30分くらい、結構話してもらったんですけどね。
なかなか話し好きなオジサンでした。要点を主にかいつまんで書きます。
アレは大正時代に、見世物小屋に出されてた奇形の人間であること。
生まれて数年は、岩手のとある集落で暮らすも、生活に窮した親が人買いに売り見世物小屋へと流れてきた。
ミイラになったのは、現代まで続くあるカルト教団に無理やり即身仏にされてしまった。
教団の名前は言えない。なぜなら今も存続しており、名前を聞けばわかるから。しかし当時の教祖の名は物部天獄(ものべてんごく)というらしい。
物部天獄は外法を好みコドクを用いて強力な"何か"を作ろうとした。
本来コドクとは、大量の虫を1つの壺に入れ殺し合いをさせ、最後に残った最も強い1匹を用いた呪法。
それを人間で、しかも奇形を持つ数人で行ったとのことだ。
503 :その3:2005/09/21(水) 23:47:39 ID:ERc7KoX60
息子『んで、どうも最初からそのシャム双生児が生き残る様に、天獄は細工したらしいんだ。
他の奇形に刃物か何かで致命傷を負わせ、行き絶え絶えの状態で放り込んだわけ。
奇形と言っても、アシュラ像みたいな外見だからね。
その神々しさ(禍々しさ?)に天獄は惹かれたんじゃないかな』
俺「なるほど・・・」
息子『で、生き残ったのは良いけど、天獄にとっちゃ道具に過ぎないわけだから、
すぐさま別の部屋に1人で閉じ込められて、餓死だよね。
そして、防腐処理を施され、即身仏に。
この前オヤジの言ってた、リョウメンスクナの完成、ってわけ』
こうして完成した即身仏を教団の本尊にした。呪仏として。
呪いの対象は国そのもの。
そのためさらに呪いを強めるため、日本の上に立つ大和朝廷の逆賊として討たれた古代人の骨の粉末を腹に入れていた。
511 :その4:2005/09/22(木) 00:13:22 ID:mdYgh3LB0
俺「にわかには信じがたい話ですよね・・・」
息子『だろう?私もそう思ったよ。でもね、大正時代に主に起こった災害ね、これだけあるんだよ。
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。死者・行方不明14万2千8百名』
俺「それが何か?」
息子『全て、リョウメンスクナが移動した地域だそうだ』
俺「そんな!教団支部ってそんな各地にあったんですか?と言うか偶然でしょう(流石に笑った)」
息子『俺も馬鹿な話だと思うよ。で、大正時代の最悪最大の災害、関東大震災の日ね。
この日、地震が起こる直前に天獄が死んでる』
俺「死んだ?」
息子『自殺、と聞いたけどね。『純粋な日本人ではなかった』と言う噂もあるらしいが・・・』
俺「どうやって死んだんですか?」
息子『日本刀で喉かっ斬ってね。リョウメンスクナの前で。それで血文字で遺書があって・・・』
俺「なんて書いてあったんですか??」
日 本 滅 ブ ベ シ
呪いによるものか、偶然か
そもそも、解体予定の寺にリョウメンスクナが置いてあったのは住職の息子の怠慢で、本来京都に輸送するはずがあそこに放置してしまっていたことが原因だった。
彼の父親である住職とは息子もここ数日連絡が取れないらしく、これ以上のことは知らないとのこと。
515 :その5:2005/09/22(木) 00:27:58 ID:mdYgh3LB0
息子『オヤジがあの時言ったろう?『可哀想だけど君たち長生きできないよ』ってね』
俺「・・・」
息子『じゃあこの辺で。もう電話しないでね』
俺「・・・ありがとうございました」
以上が電話で話した、かいつまんだ内容です・・・はっきり言って全ては信じてません。
何か気分悪くなったので今日は落ちますね。
リョウメンスクナの真相を4つの視点から考察
物部天獄の正体考察

息子『今教団が存続してるとしても、今現在の教祖とはまったく繋がりないだろうし、名前言うけどさ・・・』
息子『物部天獄(ものべてんごく)。これが教祖の名前ね』
俺「物部天獄。偽名ですよね?」
息子『そうそう、偽名。』
ある宗教の教祖であり、リョウメンスクナを作った人物である「物部天獄」。
彼は今際の際にも日本への恨みを抱いたまま命を絶ち、「日本滅ブベシ」という血文字を残したとされている。
果たして彼は何者で、なぜそこまで日本そのものを憎んだのだろうか。
ここで興味深いのが、「物部天獄」という名前である。
一部では、古事記では履中天皇(第17代)の形容として「物部」が用いられているという解釈が存在する。
古事記では履中天皇(17代りちゅう)の形容に「物部」を使用しており、それは天皇が物部氏であることを意味しているからです。
引用元:「物部」は天皇の形容詞だった!
日本の象徴である「天皇」と結び付けて語られる「物部」という名。そして、日本への強い憎悪を抱き、「天」と「獄」という対照的な漢字をあえて組み合わせた「物部天獄」という名前。
伝承通り自ら名乗った偽名だとすれば、そこには自身の出自や思想を暗示する意味が込められていたのかもしれない。
もし「物部天獄」という名が、かつて権力の中枢にありながら追われた者、あるいはその怨念を受け継ぐ者を象徴する名前だったとすれば、彼がリョウメンスクナを生み出し、その呪いを一個人ではなく「日本そのもの」に向けた理由も、「個人への復讐」ではなく、「国そのものへの怨恨」として読み解くことができる。
もちろん、これは作中で明かされていない一つの仮説に過ぎない。
しかし、偽名とはいえ「物部天獄」という意味深な名には、単なるカルト教祖以上の背景が隠されているようにも感じられはしないだろうか。
なぜ「リョウメンスクナ」だったのか?

作中、投稿主が書き込む中で、他のスレ民から以下のような投稿がある。
476 :本当にあった怖い名無し:2005/09/21(水) 18:24:34 ID:K2+tPFpq0
リョウメンスクナの話。『宗像教授伝奇考』という漫画に出てきた覚えがある。
スクナ族という、恐らく大昔に日本へ来た外国人ではないかと思われる人が、太古の日本へ文化を伝えた。
それが出雲圏の文化形成となり、因幡の白ウサギの伝説も、オオクニヌシノミコトの国造りの話も、これをモチーフとした話だろう、と。
そして、大和朝廷による出雲の侵略が起こり、追われたスクナ族がたどり着いたのが今の飛騨地方だった。日本書紀によれば、飛騨にスクナという怪物がおり人々を殺したから兵を送って退治した、という話が書かれている、と。
つまり、スクナというのは、大和朝廷以前の時代に日本へ文化を伝えた外来人のことで、恐らくは古代インドの製鉄を仕事とする(そして日本へ製鉄を伝えたであろう)人々のことではないか、と書かれていた。
そして、出雲のある場所で見つけた洞窟の奥にあったものが、『リョウメンスクナ』(両面宿儺)の像だった、とあった。477 :476:2005/09/21(水) 18:40:24 ID:K2+tPFpq0
スクナ族は日本へ羅魔船(カガミノフネ)で来た、と書かれ、鏡のように黒光する船であったとのこと。
羅魔は『ラマ』で黒檀系の木の名である、と書かれていたけど、黒ずんだ長い木箱とあったので、これももしかするとラマなのかも・・・?とすると、リョウメンスクナ様も、逃げ延びて岩手地方に来たスクナ族の末裔なのかもしれないな。
・・・と、オカ板的にはあわない内容かも、と思いつつ書いてみたが。
この書き込みにもあるように、史実の「両面宿儺」は『日本書紀』仁徳天皇65年の条に登場する。
六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。
一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。
そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。
引用元:両面宿儺 - Wikipedia
要約すると、飛騨国に現れた異形の人物「宿儺」が朝廷に従わず暴れ回ったため、天皇の命により討伐されたという内容である。
しかし、この記述はあくまで『日本書紀』における描写であり、飛騨地方には龍や悪鬼を退治した英雄として宿儺を伝える伝承も残されている。
また、日本書紀は天皇の命によって編纂された歴史書であることから、朝廷に敵対した勢力を「異形の怪物」として描いた可能性も指摘されている。
実際、古代では王権に従わない豪族や外来勢力を誇張した姿で記録する例もあり、両面宿儺も実際には外国から渡来した有力者や豪族だったという説も存在する。
こうして見ると、史実の両面宿儺と作中のリョウメンスクナは、単に「二つの顔を持つ」という外見だけが共通しているわけではない。
いずれも「国家や権力への対立」を象徴する存在として描かれている点が多いことだ。
さらに作中では、リョウメンスクナの体内には「大和朝廷によって滅ぼされた古代人の骨」が納められていたとも語られている。
これは偶然とは考えにくい。
朝廷に討たれた者の遺骨を取り込み、その名を日本書紀で「朝廷に逆らった存在」として語られる両面宿儺になぞらえることで、物部天獄は「朝廷に滅ぼされた者たちの怨念」を一つの呪物へ集約し、日本そのものに向けようとしたのではないだろうか。
もしこの解釈が正しいなら、リョウメンスクナとは単なる異形のミイラではない。
歴史の中で敗れ去った者たちの怨念を一つに集約した、極めて思想性の強い呪物だったのかもしれない。
だからこそ。
503 :その3:2005/09/21(水) 23:47:39 ID:ERc7KoX60
息子『んで、どうも最初からそのシャム双生児が生き残る様に、天獄は細工したらしいんだ。
他の奇形に刃物か何かで致命傷を負わせ、行き絶え絶えの状態で放り込んだわけ。
奇形と言っても、アシュラ像みたいな外見だからね。
その神々しさ(禍々しさ?)に天獄は惹かれたんじゃないかな』
数ある奇形児の中でも、物部天獄は"その姿"を選んだのだろう。
リョウメンスクナの呪いは本当なのか?

作中で語られた「国を対象とした」リョウメンスクナの呪いは以下の8件。
果たして本当に呪いなのか、検証不可能な件を除き原因を調査してみる。
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。死者・行方不明14万2千8百名
1914年の桜島の大噴火と秋田の大地震、1917年の東日本の大水害、そして1923年の関東大震災は天災のため原因を確認するのは不可能。
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。死者・行方不明14万2千8百名
では残りの4件について、その原因の調査を開始。
1914年、方城炭鉱の爆発について。
当時は原因不明とされるも、2000年に古書店で見つかった調査書により、現在では通気扉の開け放しによる気流の変化で、メタンなどが滞留し、それにランプに灯が引火したことが原因とされている。
1916年、函館の大火事について
原因は不明。しかしこの時代、函館では3年~8年に1度、1000戸以上が焼失した大火事が発生している。
また後年、1934年に発生した大火事では、強風により屋根が吹き飛んだ民家の暖炉の火が吹き散らされたことが原因とされている。
1917年、桐野炭鉱の爆発について
原因は不明。ただしこの炭鉱では、1909年、1918年にも爆発事故を起こしており、この時代では数年に一度は日本全国のどこかしらの炭鉱で爆発事故が起きている。
1922年、親不知のナダレで列車事故について
勝山トンネル西口にさしかかった時に汽笛を吹鳴したことによる雪崩が原因。
このように作中でリョウメンスクナの呪いが原因と言われるものであっても、天災については言えないものの、他の炭鉱事故や大火事については他の地域でも同じような事故は起きており、時代背景上不自然とは言えない。
地震についても、まったく起きていなかった場所で発生したのではなく、リョウメンスクナがまだ作られていなかった時代でも発生していることからも、一概に「呪い」が原因とは言いづらいだろう。
リョウメンスクナは創作怪談だったのか?

ここまでは、物部天獄の強い怨念によって作られた強力な呪物「リョウメンスクナ」について考察してきたが、冷静に分析していくと上記で記述したように、あくまでその時代において一般的な災害が起きたにすぎないことがわかる。
それも当然だろう。
1914年~1922年にリョウメンスクナの呪いとして書き込まれた災害一覧だが、実は掲示板に書き込まれた2005年の2年前にほぼ同じ記述でネット公開された災害の一覧があったのだ。
日本赤十字社が子ども向けに発信している「赤十字きっず 2003年7月号 第43回 おしえて?赤十字「大正時代の災害(さいがい)」」で以下のことが紹介されている。
このころにおきた 災害さいがいには、
1914(大正3)年:桜島の大噴火(けがしたひと 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(しんだひと 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(しんだひと 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(しんだひと 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(しんだひと 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(しんだひと 130人)
引用元:★せきじゅうじ きっず!★
そして以下はリョウメンスクナで書き込まれた災害の内容となる。
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914(大正3)年:秋田の大地震(死者 94人)
1914(大正3)年:方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916(大正5)年:函館の大火事
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者 1300人)
1917(大正6)年:桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。死者・行方不明14万2千8百名
両者を比較すると、その内容は驚くほど一致している。
一部、ひらがなを漢字に変換し、関東大震災の記述を追加しただけで他は全く一緒である。
とはいえ、災害の起きた年をまとめたものであれば内容は一緒になるのは当然だし、確定している犠牲者数も増減することもない。
たまたま偶然の一致か、リョウメンスクナの呪いの被害を赤十字きっずが大正の災害としてピックアップしたにすぎないかもしれない。
しかし、ひとつ疑問が出てくる箇所もある。
それは関東大震災の犠牲者数の表記だ。1914~1917年について、犠牲者数の表記は9600などアラビア数字のみで記述されているにも関わらず、関東大震災だけアラビア数字・漢数字混在表記になっている。
これは、関東大震災だけが後から付け加えられた可能性を示す一つの根拠ではないだろうか。
だからこそ、元資料をまとめた人との違いが出てしまったと考えられるのではないだろうか。
大正時代には他にも大災害や大事故と呼ばれる出来事がある。それにもかかわらず7件すべてが一致し、さらに数字表記や年表の記載の仕方まで同じとなれば、偶然とは考えにくい。どちらかが元資料を参考にした可能性は極めて高いだろう。
であれば2003年7月号で公開された赤十字がオリジナルで、2005年リョウメンスクナで書き込まれた方がコピペである可能性が高い。
ここでリョウメンスクナの呪いとして書き込まれた記述そのものに疑義が出てくる。
呪いの災害がコピーであるのであれば、リョウメンスクナで語られる物語そのものも、入念な下調べを行ったうえで構成された創作怪談だった可能性が出てきてしまう。
それでも20年以上経った今なお、この物語が語り継がれているのは、「どこまでが創作で、どこからが真実なのか」を読者に考えさせる絶妙なリアリティがあったからではないだろうか。
以上「リョウメンスクナ」の真相考察でした。他の怪談・都市伝説記事はコチラです。