国土の80%が山で覆われた国日本。今ほど交通が発展していない昔、閉ざされ田舎の集落では様々な災いから村の平和を守るため、今では考えられない風習が作られ生まれていた。今回は、そんな日本で残っていた怖い風習を12選ピックアップ。
すでに存在しない風習から、現代でも残り裁判沙汰になった風習、楽しい行事の成り立ちが恐ろしい出来事が元だった物など多彩な風習閲覧注意。
日本の田舎・集落・地方であった怖い風習12選
性に関する怖い風習「夜這い」
夜這いとは、夜遅くに寝ている女性のもとに男性が訪れ床を共にする行為で、日本各地で行われた風習でもある。
7世紀に編纂された日本最古の歌集である万葉集にも記載のある事から、かなり昔から日本各地で行われた風習で、女性はこれを拒否する事が難しかったという。
現代では即警察沙汰になる風習だが、当時の女性はこの風習をどう思っていたのだろうか…。
性に関する怖い風習「おっとい嫁じょ」
おっとい嫁じょ、別名「誘拐婚」とも言われる現在では行われていないであろう怖い風習の一つ。これは結婚を申し込んだ女性に断られたとしても、無理やりに◯◯し傷物にして強制的に結婚するというもの。
1958年に鹿児島県の大隅半島串良町で発生した「ある暴行事件」において、被告が上記の風習を理由に無罪を主張する裁判が行われた。事件当時においてもすでにこの風習は廃れており、当然判決は風習を認めず有罪になっている。
ちなみに、この様な風習は日本のみで行われていたものではなく、似たような風習は世界各地で存在しており、ギリシャ神話にもそのような風習の記載が見られる。
今なお残る怖い風習「村八分」
この言葉を耳にした人も多いだろう。江戸時代以降の風習で、村の掟に従わない村人を村民達が十の共同行事の内、火事と葬式(二分)を除いて隣人関係を絶交する事。
昔の風習と思われがちだが、一部の集落では現代でも続く風習として残っており、田舎に移住した人へ村のゴミ集積所を使わせなかったり、村の回覧板を回さなかったりと嫌がらせに近い行為として存在し、裁判沙汰になる事例が存在する。
またある村では引っ越してきた者に対し自治体が「挨拶料」を請求してくるなんて事もあり、納付を断ると村八分にされたなんて21世紀とは思えない出来事も。
この話の怖い所は、あくまで自治体独自の風習なため公的な徴収には当たらず役所が介入できない事だ。そして公的な徴収ではないため、自主的に納めるか断るかは自由となる。しかし断ると「村八分」にされる。明らか法に触れる様な事でもなければ、村人総出で無視などの嫌がらせが始まるのである。
呪いにまつわる怖い風習「丑の刻参り」
丑の刻参りとは、白装束に身を包み、頭に蝋燭を巻き付け、呪いたい相手を模した藁人形を五寸釘で木に打ち込む呪術行為。
怪談話などでよく登場するが、ネットやツイッターには今なお残る風習として目撃談が報告されている。元は丑の刻(午前1時〜午前3時)に祈願成寿を行う行為が呪法へと転じた物で、上記の蝋燭を巻き藁人形に五寸釘を打ち込む基本的な方法は江戸時代に完成したスタイルでもある。
この丑の刻参りで相手を呪っている最中に他人に目撃されてしまうと、呪いが術者に返ってきてしまう。そのため、丑の刻参りを見られた術者は目撃者を消すため襲いかかってくる事もしばしば。たとえ目撃してしまったとしても、決して術者に自分の存在を悟れてはならない。
生贄に関する怖い風習「人柱」
城や堤防、トンネルを作る際に災害などから身を守る事を目的として、守護してくれる神へと人を捧げる風習。人柱となった人間は、その過程で命を落としてしまう。大掛かりな工事には事故がつきものであり、人柱を捧げる事で工事の安全を願っていた。
日本全国で行われた風習で、今でも古いトンネルや城を解体または修繕する際に、人柱として埋められた人の人骨が発見される事がある。
1968年には、北海道常紋トンネルが地震により壁が崩れてしまい、その補修作業中に壁の中から「直立した遺体」が10体発見された事例が有名。また補修作業はあくまで地震で崩れた一部分のため、崩れていない箇所にまだまだ人柱として埋まっている人がいるとされている。
今は祭事として残る怖い風習「石合戦」
戦国時代の合戦を模して、向かい合った陣営同士が石を投げ合い遊ぶ行為。
いつこの風習が始まったか定かでないほどに昔からある風習で、かの戦国大名織田信長も幼少期には、この遊びで遊んでいたと言われる。石を投げ合う事から大変危険な遊びで、怪我人が続出した事から江戸時代には石合戦禁止令が出たが、村同士の水利権などを争う際には秘密裏に行われたりした事があったらしい。現代では一部地域に祭事として残るのみになっている。
ビジネスマナーの怖い風習「上座・下座」
基本的に「上座」はドアから一番遠い席、一方「下座」はドアに近い席とされている現代でも根強く残る風習でありマナーの一つ。
このマナーだが、なりたちは血生臭いルーツがあったと言われ、一説には武士の時代の名残であり、襲撃があった際に一番始めに攻撃を受ける可能性の高い入り口付近を下々の者が、襲撃時において一番安全な入り口から遠い位置を上位者が座る事で安全を担保した事がルーツとされている。この名残が現代にも伝わり、入社したての下っ端は下座に控え、目上の存在は上座に控える事がマナーとして定着している。
中国から伝わった怖い風習「てるてる坊主」
楽しみにしている行事の前日、雨が降っていた際に明日の天気を願ってティッシュなどを包んで作った人形を吊るし晴れになる事を願う風習。
日本ならではの風習と思われがちだが、元は中国の「掃晴娘」という物語が元になっている。この物語は雨が降り止まず災害が発生していた場所で、ひとりの娘を生け贄にした事で雨が降りやんだという物語がこの風習のルーツになっており、今回記事にした「人柱」に近い意味合いがあった。
昭和40年まで行われた怖い風習「おじろく・おばさ」
16世紀〜17世紀に始まったとされる長野県の一部地域で実際に行われていた風習。内容は家を継ぐ長男を残して、以降に生まれた次男次女達は長男のためだけに一生無報酬で働かさせられる者の名称。
家族からも道具として扱われ、長年そういった扱いを受けたおじろく・おばさ達は、精神的に病んでしまい人嫌いの無気力な人間になってしまう。ネットで書き込まれる怖い体験の物語には、このおじろく・おばさと思われる無気力な子供が登場する話も存在するほど、この風習のインパクト・忌避感は強い。
現代ではもちろんこのような風習は残っていないが、昭和40年代には3人のおじろく・おばさが実際に存在した事がわかっている。
今は祭事として残った怖い風習「隅田川の花火大会」
東京の隅田川で行われる夏の風物詩・風習となった「隅田川の花火大会」だが、その由来は決して楽しめる物ではなかった。
1732年に起こった大飢饉、これによって多くの日本人が亡くなった。この翌年から隅田川の花火大会は初まっている。もともとは大飢饉で亡くなった方達への慰霊と、今後この様な事が起こらないようにと悪霊退散を願っての風習が毎年行われる様になっていったのである。
骨上げとは別の怖い風習「骨噛み」
葬儀の際、火葬で骨だけになった故人を2人1組で箸を1本ずつ使い骨を骨壷に入れていく行為「骨上げ」は一般的に知られる風習であるが、この骨噛みは主に九州地方に残っていた風習の一つ。
骨噛みとは、文字通り骨だけになった故人の骨を口に入れ噛む行為で、故人の魂を引き継ぐ意味で行われていた奇妙な風習。現代でも喉仏の骨は最も大切に扱われる骨であるが、この骨噛みにおいても喉仏は最も親しい人が噛む骨として特別視されていた。
裁判に代わる怖い風習「火起請(ひぎしょう)」
現在ほどに裁判制度が進んでおらず、村同士の争い事の解決策として行われていた怖い風習が「火起請(ひぎしょう)」と呼ばれるものだ。
これは争い事をかかえた村同士から各々代表者を1名選び、その代表者が「赤くなるまで熱した鉄棒を素手で神棚まで運び、完遂の度合いによって主張の成否を判断する」というもの。
当然、赤くなるまで熱した鉄の棒(600℃以上)を持って移動するため代表者は双方ともに大火傷を負い、場合によっては日常生活に支障が出るまでの後遺症が残る事例も多く存在したとか。
以上が日本の怖い風習ピックアップでした。
人柱や夜這いなんかは時代の流れに沿ってもう無いし、今後も復活する事はないだろう。しかし、村八分・下座上座の風習なんかは、どんなに時代が変わったとしても残っていきそうな怖い風習となりそうだ。
日本ではなく世界で行われた怖い風習はコチラ