禁足地とは、歴史や宗教的な背景、土地の伝承などにより許可された限られた人しか足を踏み入れてはいけない場所の事をいう。
今回はそんな日本に点在する禁足地を10ヵ所ご紹介。触らぬ神に祟りなし…この禁足地に足を踏み入れてしまった者は、この諺が語り継がれ、現代まで伝わってきた理由を身を持って知ることになるのだから…。
注意点
まずは本記事をご覧いただくにあたり注意点があります。禁足地に足を踏み入れてしまった場合、以下の体験をした人がいます。
特に何も起こらないが、警察または職員等に怒られた。
入ると耳鳴りがして激しい頭痛に襲われた。
禁足地の側を通っただけで気分が悪くなった。
原因不明の体調不良に襲われた。
暫くの間、寒気が止まらなくなった。
今回、禁足地を何ヵ所が解説していきますが、遊び半分で実際に行ったり入ったりする事なく、あくまでも読み物のエンタメとして楽しむだけに留めてください。
伝承では命を落とした事例もあるため、本当に触らぬ神に祟りなし、本記事は家で暇つぶしに優雅に読むまでで止め行動に移すのは控えてください。
注意事項を確認の上、本編へどうぞ!
日本の禁足地10選
1.神隠しの森「八幡の藪知らず」
千葉県市川市に存在する通称「八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」市の解説板では「不死八幡森(しらずやわたのもり)」とも。
ここは18m四方程度の小さな雑木林だが、一度足を踏み入れると二度と出てこれなくなる伝承が今も語り継がれている。この話は少なくとも江戸時代(1603年~1868年)の書物ですでに禁足地としての記述があり、以降令和時代の今でも地元の人は畏敬を込め決して足を踏み入れる事はしない。そのためか、この雑木林は開発される事なく江戸時代から令和時代まで当時のままの姿を保ち続けている。
禁足地となった理由として、平良将や平将門の墓所説、日本武尊(ヤマトタケル)の陣屋(拠点)説など、それらの祟りなどへの畏怖により禁足地となったと言われるも定まった定説は今なお存在せず、結局は由来が不明なまま只々禁足地として伝わっている。
またかつて行方不明になった女の子が77日後、八幡の藪知らずの神社で発見された事件が発生し、そこから神隠し事件としてこの場所は一気に有名となった。
日本の禁足地で最も有名な場所でもあります。
2.人の子に災いをもたらすがゆえに「オソロシドコロ」
対馬固有の宗教「天道信仰」の聖地であり、八丁角・裏八丁角・多久頭魂神社の総称をオソロシドコロと呼んでいる。
この禁足地に足を踏み入れてしまった場合、わらじを頭に乗せ、犬の子と言いながら後退りで出なくてはならず、もし転んでしまった場合は、片袖を引きちぎり身代わりとして置かなくてはならない、と言い伝わっている。
要は自分は人の子ではないですと何者かに伝えながら、その場を後にする必要がある、という事だ。
かつてはオソロシドコロと畏れられた場所だが、現在では一種の観光地化しており一定のルールを守りさえすれば特に恐ろしい事など起こらず足を踏み入れることも可能。
現在推奨される観光時の守るべきルール
・塩で清める
・転ばない
・お参り後、後退りして帰る
またオソロシドコロの一つ多久頭魂神社の不入坪と呼ばれる場所は、他とは違い今なお禁足地として人が入れないよう縄で仕切られている。
3.未だに不明な奇祭秘祭「新城島(パナリ島)」
沖縄県の八重山列島の島の中で上地島(かみじしま)と下地島(しもじしま)と呼ばれる2島の総称。
許されざる者がこの禁足地に入ってしまうと黒い影に出会うと言われ、この影に遭遇してしまった場合、1年以内に命を失う結果となると言い伝えられている。
またこの場所では豊年祭(奇祭)が行われており、許された人以外の部外者の存在を決して許さないのだ。その禁を破った者の末路として
・島民に変装し祭りに参加した青年がリンチを受ける
・祭の模様を盗撮したカメラマンが命を落とした
・人魚のモチーフとなったジュゴンを生贄にした儀式が行われている
当然この様な奇祭はマスコミの絶好の餌となる。当時、メディアはかの祭に対した報道もなされている。
当時の新聞報道によれば、祭に参加しリンチされた青年の親族は、そのショックからか精神に重大なダメージを受けたとの事。
現在ではそこまで過激な事はないだろうが、好奇心で決して近づかない方がよい場所ではあるかもしれない。
4.女人禁制「沖ノ島」
福岡県の宗像市にある世界遺産にもなった沖ノ島、別名「神宿る島」。航海の守護神として崇拝される宗像三女神の一柱「田心姫神(たごりひめのかみ)」がまつられている場所でもある。
この場所は、島自体が神が宿る御神体でもあり、神道では血は穢れとしてタブー視されている事からも女性の上陸を一切認めない女人禁制の伝統を今でも守っている。仮に男性であったとしても神職や研究者を除く一般人は許可なく立ち入る事はできない正真正銘の禁足地である。
かつて筑前の大名が沖ノ島から宝を持ち帰り、やぐらで保管していたところ、そのやぐらに雷が落ち祟りを畏れた大名は直ちに宝を返却した…なんてエピソードも残っている。
世界遺産に登録される前までは、抽選で当選した一般人も年に一度参拝できましたが、世界遺産後はあまねく禁足となっています。
5.男性禁制「久高島クボ―御嶽」
沖縄県知念半島の沖にある久高島(くだかじま)。地元では「神の島」とも呼ばれ、特に神聖視されているのが今回紹介する「クボ―御嶽(うたき)」である。
御嶽とは南西諸島各地に点在する神々の聖地/神域の総称で、中でも琉球の祖先神・アマミキヨの琉球開闢(かいびゃく)に関わる7つの御嶽が信仰上最も重要でクボー御嶽はそのうちのひとつ。
前述した沖ノ島は女人禁制だが、このクボ―御嶽は逆に「男性禁制」が特徴。これは琉球時代の神職に女性が就いていた事が理由とされている。
昨今は観光客の無断侵入などが問題となり、現在では男女ともに一定区域までしか入れない禁足地となっている。
6.明らかに周囲から浮いている森「新開の森」
新開の森(しがいのもり)は、滋賀県近江八幡市にある県道2号線からもすぐに分かる不自然に目立つ雑木林。ここは禁足地として有名でもあり、また心霊スポットの一つとしても有名。そのためか訪れる人も多い森だが、訪れた人の具合が悪くなったり、また変なものを目にしたりと何かと曰くのある噂が後を絶たない。
この場所は戦国時代の武将「織田信長」の首切り処◯場として使っていた伝承が残っているほか、城を抜け出した女の首を切っていた場所としても言い伝えが残っている。
綺麗に整えられている周囲から明らかに浮いているこの場所だが、それは祟りを畏れ誰も木を伐採しようとしないからだと噂され、恐怖の禁足地として今なお人が訪れる事を頑なに拒否している。
7.禁足地ならぬ禁触木「神木ホオノキ」
山梨県甲州市の諏訪神社にある神木のホオノキは、文字通り誰も手をつけられない禁足地…いや禁触木(きんしょくぎ)となっている。
JR中央線にせり出しており電車の運行に対し一定の危険があるにも関わらず、誰もその伐採はおろか枝払いすらもしようとしない…いや出来ていない。
なぜならこの神木ホオノキの祟りは大変強力で、柏餅の葉にホオノキの葉を使ったら集落12戸中10戸の住民が不審◯し、生き残った2戸も洪水で流された結果、集落は全滅し廃村となった…などの言い伝えが今も残っているためだ。
この周辺の大人達は、まず自分の子供にむやみにホオノキに近づかないように言い含める教育から始まる、なんて話も。
とはいえ大昔の伝承はあくまで伝承、近代化が進み非科学的な祟りなんてものを信じられる事がなくなってきたJR国鉄時代、とうとう職員達によりホオノキの枝払いが行われる事になった。しかしその結果、作業に当たった7人全員が◯亡または重傷を負う事件が起こってしまう。
この事は新聞でも報道された。
そのため、事件以降JRは木の枝払いはあきらめ、2億円もの予算をかけて運行に支障が出ないよう鉄骨の屋根をかけることにし、運行上の問題はとりあえず先送りしている。
8.山梨最恐の心霊スポット「花魁淵」
山梨県甲州市にある山梨最恐の心霊スポットとも言われる「花魁淵(おいらんぶち)」。ここでは幽霊の目撃情報が後を絶たず、一度立ち入れば呪われてしまう…なんていう噂も。そんな花魁淵だが、本当に禁足地となっている真の場所は、現在の花魁淵から西に1km程進んだ先にある「藤尾橋」となる。
ではなぜ藤尾橋が真の花魁淵なのか?それは戦国時代まで遡る。
かつて日本国内群雄割拠な戦国時代、この地を治めていた武田信玄は戦の軍資金を得るためいくつかの隠し金山を所有していた。この藤尾橋近くにある黒川金山もその一つだった。当時、そこでは金を掘る労働者の娯楽として遊郭が設置されており、55人もの遊女(花魁)が採掘で疲れた男たちの心を癒やしていた。
しかしそんな日も信玄がある戦で敗北してから一変する。敵国に財産や鉱山の採掘技術を奪われることを恐れた信玄は、労働者と密接に関わり秘密を知る遊女55人を口封じする事にした。その計画はある場所で実行される事になる。それは現在藤尾橋がある場所だ。
信玄の口封じの計画はこうだ。当時この場所に掛かっていた橋の上に舞台を作り、酒宴の興と称して遊女をそこで踊らせる。遊女が全員宴台に上がっている事を確認したところで、橋の蔓を切って宴台もろとも川の淵に沈めるというものだった。そしてその計画は実際に実行された。
そんな悲劇から数百年経過した現代でも、当時悲惨な最後を迎えた女性達は今なお彷徨っているのかもしれない。ネット上では「顔が潰れた女の霊」や「女性に嫉妬する霊」「男を引きずり込もうとする霊」に遭遇した…なんて情報が飛び交っているのだから…。
現在で花魁淵と呼ばれる場所は、後の時代に慰霊のために人が訪問しやすい場所に移したとされ、真の花魁淵である藤尾橋は、表向き立地上の危険性から禁足地として封鎖されている。
川の淵に落とされた遊女達の中には、不幸にも即◯する事なく苦しみの中で命を落とした者もしたと言われています。
9.日本で最高格の禁足地「御正殿」
三重県にある伊勢神宮は、全ての神社の上に立つ神社「本宗」であり「日本国民の総氏神」ともされる。そんな最高の特別格たる伊勢神宮の中、その一角に「御正殿(ごしょうでん)」と呼ばれる場所がある。
この場所は、一般人はもちろんの事、皇族でさえ足を踏み入れることができない日本で別格の禁足地となっている。
この御正殿には、アマテラスが授けた三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」が保管されていると言われている。この言われているというのは禁足地がゆえに立ち入る事ができず、八咫鏡が保管されているか実際に見ることすら敵わないがゆえ、あくまで言われているという事だ。
禁足地となっている理由として、一説にはこの八咫鏡に秘密があるからだ、と言われている。その秘密は天皇に関わる事であり、露見してしまえば日本人の根幹…アイデンティティを大きく崩壊させてしまう何かが隠されているから禁足地として封鎖しているのではないか。ゆえに皇族でさえ禁足である…と。
今回紹介した禁足地のいくつかは、正直入ろうとすれば入れる場所ではある。しかしこの伊勢神宮の「御正殿」においては本当の意味での宗教上、伝統上、物理上において最高格の禁足地となる。
10.鎌倉時代から続く祟りの地「御塚」
東京大田区武蔵新田駅が最寄りの神社「新田神社」、その境内の一角に「御塚」と呼ばれる禁足地が存在する。
もともとこの神社の由来は新田義興という鎌倉時代の武将を祀っている事とされ、御塚はまさに義興本人が眠っている場所という事だ。この新田義興という人物、存命当時は比類なき強さをふるい他の武将からはとても正面からじゃ倒せないと畏怖されていた。そんな彼は自分に寝返るふりして近づいてきた武将に自刃させられるまで追い詰められ最後を迎えた。
彼の無念は相当だった様で、その後、七日七晩にも渡り雷が鳴り続き、策により大手柄をたてた武将は義興公の怨霊を目撃し狂いった上で命を落としたと言い伝わり、今なおかの怨念を鎮めている。
そんな彼が眠る場所は、新田神社の拝殿の後ろにあるフェンスに囲まれた場所となる。そこが「御塚」となりここに入ると祟りがある事から別名「迷い塚」や「荒山」と呼ばれている。江戸時代には盗賊がこの御塚に逃げ込んだところ、なぜか意識を失い村人に助けられなければ命を落としていただろう、なんて文献も残されている。
以上、日本に点在する禁足地集でした。さらに別の意味で禁足地となる場所をまとめたものがコチラ。